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札幌地方裁判所 昭和42年(ワ)773号 判決

原告 鷲谷千代

〈ほか三名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 入江五郎

被告 国

右代表者法務大臣 小林武治

右指定代理人 岩佐善巳

〈ほか三名〉

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告ら

「被告は原告らに対し一〇〇万円およびこれに対する昭和二五年一〇月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。被告は原告鷲谷千代に対し三〇六万二、五〇〇円および内六万円に対する右同日から、内三〇〇万二、五〇〇円に対する昭和四二年八月一八日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告

主文同旨の判決。

第二、当事者の主張

一、請求原因

(一)  訴外亡鷲谷新一(以下新一という)は住友石炭鉱業株式会社弥生鉱の従業員として作業中、昭和二三年八月六日と同年一二月一三日の二回にわたり負傷したため硬模下血腫を生じこれが原因となって同二五年二月二六日死亡した。右は労働基準法七九条にいう労働者が業務上死亡した場合に該当する。

(二)  新一の遺族は妻である原告鷲谷千代、子である原告岡嶋美智子、同階戸美佐子、同鷲谷笑子の四名であり、葬祭を行うものは原告千代である。

(三)  原告千代は昭和二五年九月中旬頃岩見沢労働基準監督署長に対し労働災害補償保険法(当時施行中のもの、以下同じ)所定の遺族補償費等を請求したところ、同署長は同二七年一〇月七日付で新一の死亡は労働基準法に定める業務の事由による死亡ではないと認定し、申請を棄却した。

(四)  右監督署長は完全な調査をすることもなく、木下豊医師らの診断書などにより右のような誤った判定をしたものであるが、そもそも労働基準法に定める業務上の死亡であるか否については、監督署長が職権で調査し、判定すべきものであって、本件においては、十分に調査をすればかような過ちを犯すことがなかったのに、不注意のため原告千代の申請に対する判定を誤ったものである。従って被告は右棄却決定により原告らが蒙った損害を賠償する義務がある(国家賠償法)。

(五)  (損害)

(1) 得べかりし利益の喪失

以上のとおり監督署長の過失にもとづく誤った判定のため、原告らは労働者災害補償保険法所定の遺族補償費を受給することができず、原告千代は同法所定の葬祭料についてもこれを受給することができなかった。新一の死亡前平均三ヵ月の賃金は一日一、〇〇〇円であったから遺族補償費は右平均賃金の一、〇〇〇日分である一〇〇万円、葬祭料は右平均賃金の六〇日分である六万円となるので原告らは右と同額の損害を蒙った。

(2) 慰藉料

原告千代は監督署長の誤った判定(殊に新一の死因は脳梅毒であるとした)のため、以来一七年間夫の名誉回復と死因の真相究明、右誤った判定の取消訴訟等にその人生の後半の大部分を費して来た。この間の経済的、肉体的苦痛に対する慰藉料としては一日平均五〇〇円として一七年間で三〇〇万二、五〇〇円にも達する。

(六)  よって原告らは被告に対し一〇〇万円およびこれに対する遺族補償費を請求した後の日である昭和二五年一〇月一日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告千代は被告に対し三〇六万二、五〇〇円および内六万円に対する葬祭料を請求した後の日である右同日から、内三〇〇万二、五〇〇円に対する訴状送達の翌日である昭和四二年八月一八日から各完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する被告の認否

請求原因第(一)項の事実中、新一が原告ら主張の日時に死亡した事実は認めるが、その余は争う。同第(二)項の事実は不知。同第(三)項の事実中、原告千代が遺族補償費等を請求した日時が昭和二五年九月中旬頃であるとの点を否認し、その余の事実は認める。同第(四)、(五)項はいずれも争う。

三、被告の主張および抗弁

(一)  本件訴訟は新一の死亡が業務に基因するか否かが前提問題たる争点となっている。而してこの点に関する原告千代と国との間の紛争は次のとおり訴訟においてすでに解決されている。

1、(1) 請求原因第(三)項のとおり、原告千代は岩見沢労働基準監督署長に対し、労働者災害補償保険法所定の遺族補償費等の請求をしたところ、同署長は新一の死亡は業務外のものであると認定し、申請を棄却した。さらにこれを不服として原告千代は北海道労働基準局保険審査官および北海道労働者災害補償保険審査会に対し審査ならびに再審査の各請求をしたが、いずれも理由なしとして棄却された。

(2) そこで原告千代は右審査会を被告として同審査会のした審査請求棄却決定処分取消しの訴えを札幌地方裁判所に提起した(昭和二九年(行)第一三号審査裁決取消等請求事件)が、同裁判所は昭和二九年一二月二一日新一の死亡は業務外のものと判示し、請求棄却の判決を言い渡した。原告千代は右判決に対し札幌高等裁判所に控訴した(昭和三〇年(ネ)第四号)が、同三四年九月四日控訴棄却の判決がなされ、さらに最高裁判所に上告した(昭和三四年(オ)第一二二三号)が、同三五年一二月二〇日上告棄却の判決があった。

(3) これに対し原告千代はさらに札幌高等裁判所に再審の訴を提起した(昭和四〇年(行ソ)第一号)が、同四二年一月三一日訴却下の判決がなされ、同判決は同年二月一四日確定した。

2 以上のとおり前記各行政処分には何ら違法の点のないことが公権的に確定されており、本件訴訟は右審査裁決取消等の既判力に牴触する。

3 かりに本件訴訟の前提問題が右取消等訴訟の争点と同一であるにすぎないとしても、既に同訴訟においてその判断がなされている以上、本訴にもその既判力類似の拘束力が及ぶ。

4 そうでないとしても、本件に関する原告千代と国との紛争は、既に右取消等訴訟において解決せられたものであるにかかわらず、本件訴訟はいたずらに形をかえてむしかえしたに過ぎないものであるから、訴権の濫用もしくは信義則に反し、不適法として却下されるべきである。

(二)  (損害の不存在)

かりに監督署長の業務外認定に過失があって不法行為が成り立つとしても、原告千代が同署長に対し遺族補償費等を請求したのは新一の死亡後二年を経過したのちの昭和二七年五月頃であって、遺族補償費等請求権は労働者災害補償保険法四二条一項の規定により時効によって既に消滅していた(この点についても前記審査裁決取消等訴訟の判決によって確定している)のであるから、遺族補償費等を受給できなかったことを損害の内容とする本訴請求は、右不法行為との間に直接の関連がない。

(三)  (消滅時効の抗弁)

また、原告らが加害者を知った日を前記最高裁判所の判決が確定した日(昭和三五年一二月末日)として起算しても、遅くとも同三八年一二月末日頃には右不法行為を理由とする原告らの損害賠償請求権は時効により消滅している。

四、被告の主張および抗弁に対する原告らの答弁および主張

(一)  被告の主張および抗弁は全部争う。

(二)  被告の主張(第(一)項)について

本件では既判力に牴触する可能性がある場合にも訴を提起すること自体は認められるべきである。すなわち原告らが証拠として提出した医師八十島信之助の意見書によれば少くとも現在の医学の水準では新一の死亡が業務上のものであると断定される蓋然性が極めて強く、このような場合、監督署長が新一の死因を業務外のものと認定するにつき過失があったか否かにつき実体審理して、若干でも過失があれば被告に対し新一の遺族である原告らに対する損害賠償義務を肯定することが正義に合致するのであって、本件訴訟提起が信義則に違反する理由は全くない。

(三)  被告の抗弁(第(三)項)について

原告らが不法行為による損害があったことを知ったのは右医師八十島信之助の意見書を入手した昭和四二年五月三一日である。

第三、証拠 ≪省略≫

理由

第一、原告千代の請求について

一、新一が昭和二五年二月二六日死亡したこと、原告千代が岩見沢労働基準監督署長に対し労働者災害補償保険法所定の遺族補償費等を請求したところ、同署長が同二七年一〇月七日付で新一の死亡は業務外の事由によると認定し、申請を棄却したこと以上の事実は当事者間に争いがない。

二、原告千代は、新一の死亡は労働基準法七九条にいう労働者が業務上死亡した場合に該当し、監督署長がこれを業務外の事由によると認定し、申請を棄却したのは監督署長の過失にもとづく誤った判定であるとして、被告はこれによって原告千代に生じた損害を賠償する義務があると主張し、被告は、新一の死亡が業務に基因するか否かに関する原告千代と被告との間の紛争は、すでに確定判決によって解決されており、本件訴訟は確定判決の既判力に牴触すると主張するので、まずこの点について判断することとする。

(一)  ≪証拠省略≫をあわせれば次のように認められる。

1 新一の配偶者である原告千代は、前記監督署長が昭和二七年一〇月七日付で新一の死亡は業務外の事由によると認定した保険給付に関する決定を不服として北海道労働基準局保険審査官に対して審査の請求をしたが、同審査官町谷稔は、同二九年三月三日、新一の死因は脳背髄梅毒に原因した進行麻痺によるものであり、業務上負傷との間に因果関係を認め難いとして請求を棄却した。

2 原告千代は右審査官の決定を不服として北海道労働者災害補償保険審査会に対して審査の請求をしたが、同審査会は、同二九年六月五日右同様の理由でこれを棄却する旨の裁決をした。

3 これに対し、原告千代は、同審査会を被告として、原処分の違法(死因が業務上か否かの事実誤認)を理由に、裁決の取消を求める訴を札幌地方裁判所に提起した(昭和二九年(行)第一三号審査裁決取消等請求事件)が、同裁判所は同二九年一二月二一日、理由中で右各決定と同様の理由を判示し、請求棄却の判決を言い渡した。

4 原告千代は、右判決に対し札幌高等裁判所に控訴した(昭和三〇年(ネ)第四号)が、同三四年九月四日控訴棄却の判決がなされた。右控訴審判決は、その理由中で、「控訴人(原告千代を指す)は新一が死亡した昭和二五年二月二六日から二年を経過した昭和二七年五月に岩見沢労働基準監督署長に対し遺族補償費の請求をしたのであるから、その請求権は労働者災害補償保険法第四二条第一項の規定により、昭和二七年二月二六日時効により消滅したのみならず、鷲谷新一の死因が公傷ではなく私傷によるものであることが認められるから控訴人主張の補償費請求権も発生しなかったものといわなければならない。従って、何れにするも本訴裁決取消の請求は理由がない。」旨判示した。なお控訴審継続中に昭和三一年法律第一二六号により昭和三一年八月一日労働保険審査会が同訴訟を受け継いだものとみなされた。

5 これに対し、原告千代は、最高裁判所に上告した(昭和三四年(オ)第一二二三号)が、同三五年一二月二〇日上告棄却の判決があり、さらに札幌高等裁判所に再審の訴を提起した(昭和四〇年(行ソ)第一号)が、同四二年一月三一日訴却下の判決がなされ、同判決はその頃確定した。

以上のように認められる。

(二)  右審査裁決取消等訴訟が行政事件訴訟特例法にもとづいて審理裁判されたものであることは明らかである。そして同法三条は、行政庁の違法な処分の取消を求める訴訟においては処分をした行政庁を被告とすべき旨規定しているが、その趣旨は抗告訴訟の本質が公権力の発動として行政庁のなした処分に対する不服であるところから、訴訟法上も当該処分庁をして訴訟追行にあたらせることとしたにすぎないから、その判決の既判力は当該行政処分の効力の帰属主体である国または公共団体にもおよぶものと解すべきである(民訴法二〇一条二項参照)。また、取消訴訟においては、当該行政処分取消の形成要件となる違法性の存否そのものが訴訟の対象となるのであるから、当該訴訟において請求棄却の判決が確定すると、判決の実質的確定力(既判力)により、形成要件たる違法性の不存在が確定されるものというべきである。この点は、出訴期間、訴願期間を徒過した場合に、行政処分としてはその効力を争うことができなくなっても、違法性の有無が確定されるわけではないため、その後においても処分の違法性の主張を妨げられないのとは、おもむきを異にするものといわねばならない。

つぎに、裁決取消訴訟については、裁決に固有の違法を理由とするものと、原処分の違法を理由とするものとの二つの類型が考えられる(後者は行政事件訴訟法上はそのような主張を許されないことになったが、行政事件訴訟特例法では許されていた。)。このうち、判決固有の違法を理由とする取消訴訟の判決の効力が原処分の違法性と全く関係のないものであることはいうまでもない。しかし、原処分の違法を理由とする裁決取消訴訟にあっては、形式的には裁決の取消しが求められているにすぎないにしても、実質的には原処分の違法事由そのものが取消原因(形成要件)として審理の対象とされるのである。このような場合にも訴訟の対象となっているのはあくまでも裁決の違法性の有無であり、たまたま原処分にも共通する違法原因があるにすぎないとするとらえ方もできなくはないが、行政事件訴訟法一〇条二項の文言や訴願制度が原処分に対する準司法的な不服審査制度であることからみて、そのようなとらえ方には賛成できず、むしろ原処分の違法性そのものが裁決取消の形成要件として訴訟の対象とされていると解して差し支えないと考える。それゆえ、原処分の違法を理由とする裁決取消訴訟の判決は、裁決のみならず、原処分の違法性の存否についての判断をもその主文中に包含しているものというべく、したがって、原処分の違法性の存否についても既判力を生ずるとするのが相当である。

これを本件についてみるに、原告千代は、北海道労働災害補償保険審査会のした訴願裁決に対し、原処分の違法を理由に同審査会を被告として裁決の取消を求めたのであって、その訴訟において原処分の違法が訴訟の対象とされ、請求棄却の判決が確定した以上、その既判力は原処分の違法性についてもおよぶから、後訴においてこれに反する主張をすることは許されないものというべきである。

そうすると、原告千代が、本訴において、被告に対し、岩見沢労働基準監督署長のした遺族補償費等申請棄却処分について、その違法を主張することは許されないものといわなければならず、これが違法であることを理由として国家賠償を求める原告千代の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、すでにこの点において理由がないので失当として棄却すべきである。

第二、次に、原告岡嶋美智子、同階戸美佐子、同鷲谷笑子らの本訴請求の当否について判断するに、労働者災害補償保険法施行規則二一条(当時施行中のもの)により、遺族補償を受けるべき者は、労働者の配偶者とされ、子は配偶者がない場合にはじめて受給権が発生するにすぎない。これを本件についてみるに、新一には配偶者として原告千代がいること前示のとおりであって、右原告ら三名が新一の子であるとしても、前記岩見沢労働基準監督署長の保険給付に関する決定と、右原告ら三名が遺族補償を受給できなかったこととの間には何らの因果関係もないことはまことに明白であるから、その余の点について判断するまでもなく、右原告ら三名の本訴請求は失当として棄却を免れない。

第三、よって、原告らの請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 平田浩 裁判官 福島重雄 石川善則)

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